古代から中世

古代寺院の市道遺跡や、東三河での焼きもの作りの歴史をたどります。 古代の豊橋地方は三河国に属し、市域南部には渥美郡が、市域北部には八名郡が置かれていました。古代では初めて地方行政の単位として、各地方に国が、国の下に郡が置かれました。国には役所である国府と国分寺が、郡には郡衙が置かれました。当時、三河国では役所である国府や国分寺は現在の豊川市にありました。 豊橋市では渥美郡の役人をしていた豪族の館跡と氏寺と考えられる、市道遺跡と市道廃寺が見つかっています。 中世になるとこのような古代の役所は廃止され、武士が台頭し、各地に館ができます。豊橋市では牟呂公文町の公文遺跡のように方形の大きな溝に囲まれた館跡があります。 戦国時代になると小高い丘や山の上に多くの城が築かれました。豊橋市では石巻山城や月ケ谷城、船形山城などの多くの山城が築かれ、また、近世吉田城の前身である今橋城も豊川に面した丘に築かれました。

主な遺跡

この記事は2014年03月05日に更新されました。