吉田城址

種別 埋蔵文化財包蔵地 時期 戦国時代から江戸時代 所在地 豊橋市今橋町ほか 交通アクセス 豊鉄市内線(市電)「豊橋公園前」下車、徒歩3分

解説

吉田城の築城は永正2年(1505年)にさかのぼります。当時田原の戸田氏と東三河地方の覇権を争っていた豊川の土豪・牧野古白が、駿河・遠江を支配していた今川氏の命を受けて、豊川の河畔に築城した「今橋城」がその始まりです。 戦国時代、吉田城の城主は牧野氏のほかに戸田氏、さらに隣国の戦国大名である今川氏、松平氏などめまぐるしく入れ替わり、この地が東三河の要だったことをうかがわせます。 さて、現在見ることができる吉田城の遺構はすべて近世に築かれたもので、戦国時代の吉田城の姿はよく分かっていません。ただし当初の今橋城が小規模な砦と推定されることや、文献などから、城主の交代とともに順次城地の拡張や整備が行われていったと考えられます。 近年行われた発掘調査では、近世の堀のすぐ近くから、松平(徳川)家康の重臣・酒井忠次が城主のころに掘られた戦国時代の堀が見つかりました。このほか家臣団の屋敷地なども見つかっており、近年の発掘調査によって中世吉田城の姿が明らかにされつつあります。
発掘調査で見つかった戦国時代の堀(左)と近世の堀(右)

発掘調査で見つかった戦国時代の堀(左)と近世の堀(右)

出土品

この記事は2014年03月05日に更新されました。