地図

明治以降、軍事的・行政的な理由、あるいは会社や商店の宣伝、交通機関・観光地の案内などさまざまな目的で豊橋の地図が作製、利用されました。近代豊橋の地図作製の流れをみるとき、その初期に陸軍の果たした役割は大きいものがありました。明治20年代に豊橋の地を測量し、管轄地やその周辺の地図を発行したのは、吉田城址に兵舎を設けた陸軍歩兵第十八聯隊でした。民間でもそれらの流用が行われ、町の変化に伴って修正を加えながら利用されました。
 

この記事は2014年05月06日に更新されました。