近世

東海道53次の宿場町吉田・二川。吉田は城下町でもありました。 近世(江戸時代)になると吉田城の城下町として、さらに東海道の宿場町として、現在の市街地の元となった吉田宿が設けられたほか、市東部には東海道のもう一つの宿場町・二川宿が置かれました。 吉田城下では、様々な文化がはぐくまれていきます。山田宗偏によって茶の湯が広がり、また吉田藩の藩校「時習館」が開かれました。さらに国学が発展して羽田野敬雄らを輩出したほか、民俗学の祖として知られる菅江真澄も吉田の出身でした。このほか吉田の画人として、恩田石峰や稲田文笠らは優れた作品を残しています。 また農業技術の進展とともに、三河湾の沿岸部では新田開発が次々に進められていきました。これらは後の神野新田開発へと受け継がれていきます。

解説

この記事は2014年03月05日に更新されました。