「手塚治虫と私」

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 佐々木順一郎
 「とよはしまちなかスロータウン映画祭」実行委員会顧問/ 映画コレクション「しねとろ倶楽部」主宰
 私は鉄腕アトムが「アトム大使」として雑誌「少年」に初連載された1951年生まれ。1950年代は少年月刊誌や貸本漫画の全盛時代。「少年」「少年画報」「少年クラブ」「冒険王」などで「イガグリ君」「赤胴鈴之助」「まぼろし探偵」「月光仮面」等が人気、中でもアトムは普通の子供と同様に勉強し遊ぶ生活をするロボットであり科学の善用を信じて難事件に立ち向かう、つまり読者の等身大目線で科学万能時代の申し子に相応しい映画的なスケールが面白かった。やがて少年週刊誌が発刊されTV時代とも相まって「ジャングル大帝」「孫悟空」「火の鳥」「マグマ大使」「どろろ」「ブラック・ジャック」などが私の青少年時代を夢中にさせてくれたのである。
 佐野妙
 4コマ漫画家
小学生の頃、夏休みは中央図書館に入り浸っていました。
その中でたくさんの手塚先生の漫画を読みました。
ブラック・ジャックは同じ巻を何度借りて読んだかわかりません。
そして、何度頭の中で人を助ける想像をしたかわかりません。
きっと私みたいな子供がたくさんいたと思います。
最近は舞台や映画等で手塚先生の作品に触れることが増えました。
表現する人によって作品の印象が違ってくるので、とても面白いです。
いろんな人に影響を与えた手塚先生の作品。
私の中にも、しっかりあると思っています。
 佐原光一
 豊橋市長
 「手塚治虫漫画の記憶」
 子供時代、手塚治虫ファンではなかった。「おそ松くん」を読んで笑い、「鉄人28号」に声援を送っていた。
転機は、職場の先輩に薦められた「火の鳥」だった。この時、私は手塚治虫漫画のファンになった。技術屋の端くれの私にとって、「鉄腕アトム」の技術や科学は仕事の延長線上にあり取っ付きにくい存在だったが、「火の鳥」はこれとはかけ離れた新鮮な世界で、どっぷりはまってしまった。そして私は「鉄腕アトム」や「ブラック・ジャック」を読み漁った。
 今年、狂犬病患者が出た時も、ブラック・ジャックさながら「水を怖がった?」と尋ねたほど、今では手塚治虫信者だ。
 白石剛浩
 映像作家
 小学生の頃、図書室で「大人」になった。
 いつも読んでいるソレとは違う、理解のできない漫画に触れ、「人間と命」について考える事を無視できなかった。圧倒的な知識と教養が生み出す自由で痛快な物語。国籍、文化、社会に対し残酷なまでに遠慮のない表現。その深みは言葉では表せない大切な何かを植え付けた。
 僕が表現をする仕事に就き、必ず対峙しなくてはいけない初めの一歩がグダついていたら「まだ描けてないの?キミはダメだねぇ」と笑う手塚先生が僕の背中を押してくれます。ベートーヴェンをモチーフにした「ルードヴィヒ・B」。手塚先生の絶筆を完結させるのは後世に残された僕達のイマジネーションです。
 白井紀充
 シライミュージック 代表取締役社長
 最初に読んだ手塚治虫先生の漫画は「アトム今昔物語」。90年代中頃の講談社のハードカバーで大人手塚の洗礼を受けました。大人になってからも文庫で揃えて、段ボール箱数個分の作品が自宅にあります。一番の思い出は1985年の24時間テレビ。「三つ目がとおる・悪魔島のプリンス」が衝撃的に面白く、翌年も三つ目の新作を放送するのだろうと思い込み、ワクワクしてテレビを見ていたけど、放送されたのは「ボーダープラネット」9才の私には渋すぎる作品で「勝手な期待で自爆」という経験をしました。今は子供が、段ボール箱から分かる話を選んで読んでいて、いつ、奇子やMWを読む時期が来るのかな?と、ドキドキしています。
 白井正彦
   豊橋交響楽団団長

「手塚治虫氏と豊響~『ジャングル大帝』楽譜復元のドラマ」
 手塚治虫先生の『ジャングル大帝』は豊橋交響楽団にとって忘れえぬ作品です。「子どものための交響詩 ジャングル大帝」という曲をごぞんじですか。この曲にはドラマがあります。物語の発端は、ある楽譜係が演奏会の後、原譜一式を紛失したこと。どうしても演奏したい豊響は、故森下元康氏が編曲家の久木山(くきやま)直(すなお)氏にレコードからの採譜を依頼。当時のTrp奏者の鈴木氏ら多くの団員が確認。冨田勲氏も加筆してついに楽譜を復元したのです。必要な効果音は、豊響の山崎氏、大竹氏らが作成。『パンジャとレオ』をモチーフにポスターを伊奈彦定氏が制作。第37回定期で演奏しました。これがアマオケの初演。以来、多くの楽団が演奏しています。今回企画の演奏会では、フル編成ではなく金管五重奏でお楽しみいただきます。     

   菅原浩志
 映画監督/豊橋ふるさと大使

 映画「ぼくらの七日間戦争」の中で、廃工場に立て篭もった中学生のリーダー、菊地英治の妹が家で観ている映像を、私は迷わず手塚治虫先生原作の「火の鳥」に決めた。
 それは子供の頃、毎週テレビでオンエアーされる「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」をワクワクしながら観ており、発売日が待ちきれないほど漫画雑誌を愛読し、手塚治虫作品は間違いなく私の子供の頃の栄養素となり、大人になった私の映画作りに大きく影響しているからである。
 時代がどんなに変わろうと生涯創作活動を続け、戦い続けた手塚治虫先生に映画監督として心より敬意と感謝を申し上げたい。

   杉田成道
   演出家/映画監督/豊橋ふるさと大使
 手塚作品では「陽だまりの樹」を舞台で、中井貴一主演で演出したことがある。
 その時、いろいろ手塚先生の事は調べさせてもらったが、何より感動したのは先生の日常を追う一編のビデオであった。高田馬場に借りた仕事部屋、小さく狭く、かつ何もない。カラッポ。仕事机がひとつあるっきり。そこで、朝から晩まで、いや夜中から更に朝まで、ただひたすらに書いている。時たま立ち上がると、いきなり逆立ちを始める。これが、かなり長い。手が震えるころになって、ぱたっと足を下す。と、またすぐ机に向かう。 それがすべて。あとは何もない。来る日も来る日も、これより他にない。まさに独房。
 毎日毎日延々と続く。この退屈極まりない生活から、あの壮大な物語が、人間の深淵に迫る心打つドラマが、世界を見つめる透徹した目が生まれたのだと思うと、不思議な感動に包まれる。これは、もう人間ではない。怠惰という言葉が入り込む余地が微塵もない。やはり、手塚治虫は神様だ。
 宗田理
 作家/豊橋ふるさと大使
 手塚治虫はぼくと同じ世代で、同じような戦争体験を持っている。だから、彼の描く反戦をテーマにした作品やキャラクターには強く共感を覚えたし、またぼくの作品も、それらから大きな影響を受けた。彼は早くに亡くなってしまったが、生きていたら共作をお願いしてみたかった。
 高須大輔
 豊川堂社長

 生前の手塚治虫先生を僕は知らない。鉄腕アトムの再放送も記憶が無い。しかしながら、小学校の図書館でブラック・ジャックを借りて読みふけり、病院の待合室で火の鳥を読んだ記憶は鮮明である。日本の、人の陰と陽を映し、人は何なのか、どうあるべきなのかを訴えかけ、愛情、善悪など人の本質を問われている気がした。言うまでもなく、手塚イズムを受け継いだり、影響を受けている漫画家の先生は多い。40歳の僕は、その先生方の作品を通して手塚治虫先生を教えてもらっている気がする。そして、それは今の子どもたちや、その先の子どもたちにも同じで、永遠に続いていくことだと思う。

 髙須博久
  株式会社豊川堂 代表取締役会長 
「鉄腕アトムの思い出」
 今から60年ほど前、私が小学生の低学年のころの話です。「少年」という月刊誌があり、鉄腕アトムが連載されていました。新年号には分厚い別冊ふろくが付いていて、とても楽しみでした。今でもお茶の水博士の言葉を覚えています。「ロボットにも人格がある。アトムはヒトに対しては絶対に危害を加えないが、悪には10万馬力でたちむかう」と言っていました。
 田中久雄
 豊橋市図書館長 兼 まちなか図書館開館準備室長
 手塚治虫作品は数多く生み出されましたが、私の心に残っている作品はブラック・ジャックです。
ブラック・ジャックは、黒いマントをまとった天才医師ですが、医師免許を持たず、治療に法外な費用を請求します。それだけ聞くと悪人のようですが、高額な治療費と引き換えに、治療が困難なけがや難病を必ず直し、金持ちの歪んだ心や傲慢な性格を打ちのめす姿は痛快でした。
 図書館でブラック・ジャックのコミック本を見るたび、社会正義を貫く黒マントのヒーローに憧れ、何度も読み返した子どもの頃を思い出します。
 谷亜由子
 構成作家/フリーライター
「ふしぎなメルモ」
 命について、とか、大人になることとか。大好きなメルモちゃんに深いテーマが込められていたことを知ったのは、キャンディの力を借りずにたくさんの経験と失敗をいっぱい繰り返しながら、ようやく「大人」と呼ばれる年齢になってからでした。小学生だった私が、テレビを観ながらどこかでふわっと感じていた言葉にできないふしぎなドキドキの正体も、いまなら少しわかる気がします。ああ、赤いキャンディーだけがぎゅっと詰まった瓶があったらいいのになあ。
 地宗一郎
 元豊橋市教育長
「私の、運命の一冊」
 私と手塚漫画との付き合いを決定的にしたのは、『地底国の怪人』(昭23年刊)との出会いであった。こんなにおもしろい漫画があるんだ!…ドラマチックな展開の末に訪れた切ない結末に、幼い私はしびれ、興奮し、そして、心に決めた。「マンガハ、テヅカジチュウシカ ナイ!」
以来、80歳を超える今日まで、手塚漫画はいつも、私の手の届く所にあった。なんと多くを、私は手塚漫画から得てきたことか。手塚漫画とリアルタイムで付き合ってこられた世代の私は、本当に幸せだった。その縁を、はじめて結んでくれた『地底国の怪人』は、私にとって、まさに「運命の一冊」なのである。
 「次代に残したい作品」をあげるならば、まず、『ジャングル大帝』。ひたすら「おもしろい漫画」を追求した手塚さんの夢とロマンの結晶。戦後、わが国「ストーリー漫画」の嚆矢となった作品。
 もう一つは、『火の鳥』。漫画表現の可能性に挑戦し続けた手塚さんが、「生命の尊厳」をテーマに、壮大な構想のもとに描き進めた。実験精神あふれる作品。「手塚漫画の集大成」ともいうべき作品。
 『どろろ』では、妖怪変化が跋扈する、奇想天外、波乱万丈のドラマに包んで、手塚さんは、「人間の業の深さ」を問いかける。俗に、「裏手塚もの」の一作。シェイクスピアやモーツァルトにも「裏」の名作、名曲は少なくない。個人的には、最も気に入っている作品。手塚漫画入門の一冊―としても勧めたい。
 中田學
 大陽出版社長
 小学生の頃、1日にバスが2回しか停車しない愛知県の山奥に住んでいました。
そんな田舎でも、鉄腕アトムが掲載されていた「少年」は読んでおり、当時、10万馬力は想像の遥か上でただただ夢物語でした。
 あれから50年、いくつもの手塚作品と出会ってきました。
 ラストは悲しく寂しく終わる展開が大人となった今では、哲学の始まりとなり、「必要悪」「不条理」「貧困(政策)」といったこの世で解決できないことが多いこと、この世の全てに寿命があることを作品から学ぶことができました。

この記事は 2020年09月24日に更新されました。

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