人人会

1974年、中村正義は星野眞吾・山下菊二・大島哲以・田島征三・佐熊桂一郎・斎藤真一によびかけて美術グループを結成し、「黒い太陽・七人の画家―人人展」(日本橋・三越)を開催しました。会の名称は「人」という文字を横に並べた造語を用い、上下関係に縛られた因習的な画壇体質とは異なる方向性を示します。三上誠も当初創立メンバーに加わる予定でしたが、1972年に逝去したため、会場には遺作が特陳されました。 中村正義と星野眞吾はいうまでもなく、集ったメンバーはいずれも独特の世界をもった面々でした。花や禽獣と融合した人物群像を中世の絵草紙のような情景に描いた大島哲以は、ウィーン幻想派のフッターやフックスに学び、聖性とエロティシズムが共存する世界を構築しました。福沢一郎の研究所に学び、ダリやエルンスト、ボッシュの作品に感銘を受けた山下菊二はその凄絶な戦争体験から反戦的・社会的な問題を提起した作品をあらわします。佐熊桂一郎は一貫して童女とも老女ともつかない奇形的な女性像を描き続け、斎藤真一もまた素朴派的な表現で盲目の旅芸人・瞽女をテーマに独自の物語世界を展開しました。絵本作家として知られる田島征三は泥絵の具を用いて児童画を思わせる奔放な作品を発表しています。 1975年には丸木以里・丸木俊・山本政雄が会員に加わるなど会員はその後増減を繰り返しますが、大島哲以・田島征三・斎藤真一はやがて会を退き、中村正義・山下菊二・星野眞吾もすでに故人となりました。現在は東京都美術館を会場として活動を続けています。
  • 斎藤真一《梅雨の頃》1971(昭和46)年

    斎藤真一
    《梅雨の頃》
    1971(昭和46)年

  • 山下菊二《海を渡る捕虜服》1968年

    山下菊二
    《海を渡る捕虜服》1968年

この記事は 2014年02月06日に更新されました。

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