パンリアル美術協会

昭和24年、京都市立絵画(美術)専門学校日本画科の卒業生が中心となってパンリアル美術協会を発足しました。創立会員は三上誠・山崎隆・星野眞吾・不動茂弥・田中進・佐藤勝彦・大野秀隆(俶嵩)・下村良之介・松井章・小郷良一・鈴木吉雄の11名。「パン」は「汎」を表し、「リアル」は「リアリズム」の意ですが、狭義にとどまらず、アブストラクト(抽象)をも包括する広範な表現を期した命名でした。 以後、湯田寛・野村耕らが加わり、会員たちは膠彩画(こうさいが)と称する新たな日本画を志しますが、次第に従来の絵画手法を越え、実験的・抽象的な試みが行われるようになります。星野眞吾は厚紙や和紙のコラージュ、後に人択画をとりいれた作品を発表し、三上は段ボールや輪切り状の木片を画面に定着させる試みの後、人体の内臓器官をモティーフに人体マンダラを生み出します。大野はドンゴロス(麻布)を色面に貼り付けた作品を制作し、下村は紙粘土を用いて鳥類の壮大なモニュメントを形造りました。また、山崎は実物の木目から文様を写し取るという技法を用い、不動は古い浄瑠璃本を画面にコラージュして文字によるマンダラを形成します。野村は当初、配管などを直に画面に取り付けていましたが、後に新聞を印刷する紙版を用いて作品を制作するようになります。 同会は昭和30年代から40年代にかけて最も意気盛んに問題作を世に投じますが、まもなく松井が会を離脱。昭和33年に大野と山崎が、40年には野村が会を離れています。昭和47年に三上が逝去。昭和49年の不動の退会に続いて52年には星野が30年間にわたるパンリアル活動に終止符を打ちます。最後まで同会に創立会員としてとどまり、出品を続けた下村も平成10年に逝去ました。
  • 下村良之介《27のパターン(部分)》1963年

    下村良之介《27のパターン(部分)》1963年

  • 三上誠《輪廻と万華鏡》1968年

    三上誠《輪廻と万華鏡》1968年

  • 大野俶嵩 《RED NO.23》1963年

    大野俶嵩
    《RED NO.23》1963年

この記事は2014年03月05日に更新されました。