豊橋空襲と豊川海軍工廠の空襲

 豊橋市は、昭和20年(1945)6月19日深夜から20日未明にかけてB29による爆撃を受けました。一夜にして市街地の90%が焼け野原となり、624人の市民が亡くなりました。世帯数では16,009世帯が、人員は68,502人が被災しています。人的被害は、死亡624名、重傷229名、軽傷117名、物的被害は、全焼全壊15,886棟、半焼半壊109棟です。  また、豊川海軍工廠では、昭和20年(1945)8月7日の空襲により学徒動員されていた県立豊橋中学校はじめ豊橋桜ケ丘高等女学校、豊橋松繰高等女学校などの10校の生徒や前芝国民学校の児童が亡くなっています。

この記事は2014年04月28日に更新されました。