隻履達磨図

  • 【豊橋市指定文化財】紙本墨画淡彩隻履達磨図 長澤蘆雪筆(平成16年7月5日指定)
  • 作 者:長澤蘆雪(ながさわ ろせつ、1754~1799)
  • 時 期:天明6年頃(1786頃)
  • 種 別:歴史資料-絵画(紙本墨画淡彩、1幅、134.8×56.0)
  • 所 蔵:豊橋市美術博物館(正宗寺旧蔵)

隻履達磨図

隻履達磨図

解説

長澤蘆雪は、丹波篠山の藩士上杉和左衛門の子として生まれ、少年期を淀で過ごしたといわれます。のち京都に出て円山応挙に師事し、名は魚・政勝、字は氷計・引裾、于洲・于緝などとも号しました。応挙が穏やかで平明な写実的作風をみせたのに対し、蘆雪は人間的感情を表出した独自の画境を展開しました。 [隻履達磨図]は片方の履物をもった達磨のことで、禅宗祖師の達磨伝説の一つです。衣に朱をさして達磨の朱衣とし、達磨の肉身にも朱をさしています。即興的に描いたものかとも思われますが形態把握はしっかりしています。図上には『手携履一隻/怱々何處帰/祖師真面目/雲影向西飛 天明丙午初冬 斯経拝題印』と妙心寺直指庵住職であった斯経の題があり、天明6年初冬頃の作品であることがわかります。 この[隻履達磨図]はもともと豊橋市嵩山町の正宗寺に伝わった什物で大正年間に[仁王図][羅漢図]など他の蘆雪画とともに寺を離れました。正宗寺は妙心寺派に属する臨済宗の古刹で、[波涛図][楠に鶴図]など蘆雪の画45点(重要文化財)のほか、円山応挙の[竜虎図]など数多くの書画を有することで知られています。これらは妙心寺で斯経や指津とともに修行を積んだ万年和尚が天明期に正宗寺を再興した際、襖や屏風などを交流のあった斯経や指津を通して応挙や蘆雪に依頼したものです。

この記事は 2024年02月08日に更新されました。

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