吉田城址発掘調査成果の一般公開について【3月20日開催】

最終更新日 2021年03月19日

 豊橋市文化財センターでは、吉田城址の保存と活用に向けた調査を継続して行っています。今年度は、昨年度からの継続で千貫櫓台、新規で本丸南多門の堀底の調査を行いました。このうち、南多門の堀に築かれた石垣は、近世初頭の築造であり、城内でも最大級の高さと確認できました。
 調査の成果を市民の皆さんに知っていただくため、調査現場の公開を下記の日時に開催します。

◎調査成果の一般公開
と き:令和3年3月20日(土) ※少雨決行
    10時00~11時30分、13時30分~15時00分(随時受付)
受 付:豊橋公園内本丸広場
内 容:令和2年度に行った豊橋公園内での調査成果を、スタンプラリー形式で巡ります。
その他:スタンプラリーの景品あり。(午前と午後各200部、なくなり次第終了)
    ※感染症の拡散防止対策を行ったうえ開催します。

調査現場の画像

≪ 調査成果のポイント ≫
①本丸正面入口に築かれた場内最大級の高石垣
 今回の調査により、南多門付近の築城当初の堀底は現在より約3m深かったと確認しました。このため、南多門付近の堀に築かれた石垣の高さが約12.6mと判明し、鉄櫓と並ぶ規模だったことが確認できました。城郭の最重要部のひとつである本丸入口の守りを強固にし、かつ荘厳に飾る目的があったと考えられます。 ※鉄櫓(くろがねやぐら)下石垣の高さは約12.7m。
②近世初頭の城郭改修をものがたる石垣
 調査での出土遺物、石材の種類や加工技術から、この石垣は近世初頭の城郭整備を行った際に築かれた石垣だと思われます。当時の吉田藩主であった松平忠利は、江戸城や名古屋城の建設に関わった築城の名手でした。本丸御殿の建設に合わせ、整備された石垣と考えられます。また、それ以前の城主である池田照政(輝政)によって整備された時の石垣の可能性もあります。

≪ 調査現場のみどころ ≫
①堀底に厚く積もった土砂の様子
 江戸時代を通して、堀底は丁寧に清掃されていたようです。しかしながら、安政地震(1854年)以降は堀の管理が行われなかったようです。特に明治から昭和時代を中心に不要な土砂やゴミの捨て場とされたことにより、現在の堀底は江戸時代と比べ約3m高くなっています。
②発掘された2種類の石垣
 本丸の南多門付近では、堀の斜面全体を覆う高石垣と、斜面の下部を強固にするために築かれた腰巻(こしまき)石垣を見ることができます。高石垣の高さは約12.6mで、腰巻石垣は高さ約2.1mであり、高さのほか石積み方法の違いを見ることもできます。