「吉田城址」を豊橋市の史跡に指定しました

最終更新日2022年04月20日

 吉田城址は、戦国時代から江戸時代にかけて東三河の政治の中心として、また東海道の要としての役割を担った城で、老中など幕府の要職を務めた城主を輩出した譜代大名の城でもあります。市街地にあるにも関わらず、豊橋公園やその周辺に石垣や堀、土塁などの遺構が多く残されています。

 近年の発掘調査や研究の進展などにより、城址の価値が改めて見直され、高く評価されるようになりました。そこで令和4年3月30日付けで、遺構の残存状態がよい豊橋公園西側一帯の「本丸・二の丸・三の丸跡」、豊城中学校敷地北側の「水門跡」、豊橋刑務支所の道路沿いに残る「総堀土塁」の3か所を合わせて、「吉田城址」として豊橋市の史跡に指定しましたのでご報告します。詳細は下記をご覧下さい。

 ○ 吉田城址 史跡 73,370.92㎡ 戦国時代~江戸時代

 「吉田城址」指定 報道資料 

 「吉田城址」指定理由書

 「吉田城址」指定範囲

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