三河国吉田城絵図[地震節破損所之覚]

吉田に起こった大きな地震として宝永4年(1707)と嘉永7年(1854)の二つが知られています。 本資料は嘉永の地震の際の吉田城内の破損状況を詳細に書き上げ、幕府に補修を願い出た時の図の控です。 石垣や櫓など被害を受けた場所から朱線を引き、例えば「此櫓大破」、「此石垣長拾壱間崩候」などの記述がみられます。 なお、宝永地震の同様の絵図も存在しています。
三河国吉田城絵図[地震之節破損所之覚]

三河国吉田城絵図[地震之節破損所之覚]

この記事は 2014年02月06日に更新されました。

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