輪廻と万華鏡

三上 誠(みかみまこと) 1919-1971 1968(昭和43)年 紙本着彩 134.0×91.0 「第3回これが日本画だ!」展出品

輪廻と万華鏡

輪廻と万華鏡

解説

大阪に生まれ、福井に育った三上誠は京都市立絵画専門学校日本画科を卒業後、山崎隆、星野眞吾、不動茂弥らに呼びかけ、日本画の革新をめざしてパンリアル美術協会を結成しました。以後、同会の中心的役割を担いますが、肺結核により福井への帰郷を余儀なくされます。活動当初は布やダンボール、輪切状の木片を画面に定着させるなど実験作を発表。やがて自らの身体を蝕む病魔と対峙し、人体の器官を思わせる医学的モティーフを鋭い線で描き、それらが発展して東洋医学の灸点によるマンダラを形成しました。 《輪廻と万華鏡》はそうした灸点による人体マンダラのひとつですが、変転する万華鏡や画面中心に子宮を思わせる円相を描くことで作者の仏教の輪廻観への傾倒をも反映しています。このころ色彩は線描に朱色を滲ませた様式から、より鮮明なカラーインクを用いるようになりました。 この後、画風はモノクロームの画面へと転じ、1971年には肺結核が再発して福井の地で不遇のうちに逝去しました。その才を惜しむ中村正義らが実行委員となって1976年には神奈川県立近代美術館で「三上誠展」が開催され、以後は福井県立美術館、O美術館などでその画業が回顧展示されています。

この記事は 2014年02月12日に更新されました。

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